「本当に欲しいもの」を送り出すための企画開発会社


愛って一言で表すのは簡単だけれど、一言で語るのは難しい。
恋人への愛、友人への愛、両親への愛。
心から愛せる人が笑顔でいてくれることだけで嬉しかったり、
愛する人が自分の名前を言ってくれることが嬉しかったり。
目の前で美味しそうに食べている姿を見て嬉しかったり。

今朝の朝日新聞1面 「天声人語」 の記事を見て愕然とした。

「孤独死」

立川で起きた45歳の母親と4歳の息子の死。
母親はくも膜下出血で息絶え、息子さんは知的障害で一人では食事ができず、手つかずのお弁当があるもののその子の胃の中は空だったそうです。二人暮らしの母親を急に亡くし、空腹のうちに息絶えた・・・。その時の子供の気持ちを考えると胸が痛い。

札幌市では姉(42)と妹(40 障害のある方)、釧路市では、妻(72)、認知症の夫(84)いずれも病気や高齢などのハンディを抱えた方々。

記事にも書いてありましたが、衰弱は同時にこと切れたとは考えにくく、一つ屋根の下で残された人の落胆や焦り、札幌で姉に姉に先立たれた妹さんは何度も携帯電話のキーを押していたそうです。助けを求めたかったのでしょう。

まだ私が子供の頃はご近所に誰が住んでいて、家族構成などが見える世間でした。
よく近所のおばさん達に話しかえられていたし、その子供たちとも外でよく遊び、コミュニティーが出来ていた。
でも今はどうなんだろう?
他人への 「愛」 というものがなくなりつつあるのでしょうか?今や高齢者などの方々を見守っているのは企業から派遣されたヘルパーさんだったりしますよね。
そういう方々も必要ですよ、でも近所に住んでいる私達にも出来ることなのではないのかな。
最近、あの人見ないな~とか、郵便物が随分と溜まっているなど、前兆が必ずあるはず。プライバシーという高い壁はあるけれど、時としてその壁を越えてもいいと思う。
「他人は他人、自分に関係ない」という人もいるでしょうね。でもね、 「生きている価値のない人」 なんて世の中に誰一人いないよ。善人も悪人もなんらかの意味を持って生まれてきているんだろうから。

手を差し伸べる、それだけで助かったりもする。声をかけるだけで、気にかけるだけで、いいのかもしれない。それだけで随分と 「きずなという愛」 は生まれてくるものだと思います。
人間はそれが出来るのだから。

Toaki