ウービィー株式会社 オフィスマネージャーブログ 「とあきの365日(歩)?のマーチ!」

「想い」を「形」に。女性だからこそ、できる企画がある

2014年8月をもって更新は終了しました。

カテゴリー「歴史・文化」のエントリー一覧

2014/03/20

秩父札所午歳総開帳@札所巡りの旅

カテゴリー:歴史・文化

いや~ほんとにほんとに久しぶりのブログでございます。
なんでこんなにも久しぶりなのか?
すいません、決算前でかなりバタバタしておりました(汗)

突然ですが今年、ワタクシは記念すべく?年女(午歳)
実は秩父では今年「秩父札所午歳総開帳」の年。

秩父三十四ヶ所の本尊は、普段、秘仏として扉が閉じられていますが、観音様の御眷属の馬にちなみ、古来より、十二年に一度の午歳に扉を開きます。
それが今年なのです。

秩父三十四ヶ所の観音霊場(秩父郡市4市町村)は、西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所と共に日本百番観音に数えられています。
秩父札所のおこりは遠く文暦元年(1,234)甲午三月十八日開創と伝えられ、長享二年(1,488)の札所番付(札所三十二番寺蔵)が実在する事から、すでに室町時代末期には秩父札所があったと考えられ、江戸時代になると観音信仰は庶民の心の支えとして流布し、隆盛をみるようになりました。
秩父巡礼は、一番四萬部寺から三十四番水潜寺まで静寂な山村と美しい自然の風光を背景に一巡約100kmほどあります。この間、ある時は谷をわたり、山路をたどり、野づらを横切っての巡拝は秩父ならではのものでしょう。(参照:秩父観光ナビより)

期間は2014年3月~11月18日まで行っておりますので皆さま(午歳生まれの人は是非!)足を運んでみて下さいませ。
ちなみにワタクシは明日からの三連休に言って参ります!

Toaki

2013/01/23

包む@風呂敷の歴史

カテゴリー:歴史・文化

最近、「和」 のモノに反応してしまいます。
着物も年に数回は着たいなと思ってますがなかなかその機会がない。
しかし、時間は (機会は) 作ろうと思えば作れるので着たいと思っています。

風呂敷の世界も興味があり。
本当にたくんの風呂敷があります。
興味があるので歴史を少し調べてみました。

まず、包みモノのはじまりは奈良時代だそうです。
現在、季節や慶弔時の贈答品を包む時の祝儀は 「右包み」 、不祝儀には 「左包み」 で贈り、百貨店包装紙による包み作法も同様に行われています。
こうした包みの作法は元正天皇の養老3年 (719) 2月3日 「壬戌初令天下百姓右襟」(『続日本記』巻八) の法令が発せられ、諸民の左袵(さじん)を禁じ、すべて右袵 (うじん) に改めたことに起因します。
この法令によって左袵の風習は暫時なくなり、一般の和服は右袵による着装方法が取られるようになりました。右袵とは着用者の右前を下に、次に左前をその上に重ねる着装法であり、今日の婦人服の合せ方は左袵で、和装は男女とも右袵になります。
右袵が一般化すると、左袵は物事の逆様、つまり縁起の悪いことを意味するようになり、平常と異なる状態、すなわち死人は生きている人と区別して左袵に着せるようになりました。
こうした風習はやがて包みものの世界にも及び、陰陽道の生・死、吉・凶、晴・穢、清浄・不浄、右・左、奇数・偶数というような中国二元論的宇宙観ともあいまって、慶事包みは右包み、弔事包みは左包みに包む作法が普及したそうです。
現在、風呂敷や包み袱紗を使って贈りものをする時、例えば結納目録や婚礼内祝を包む紋付風呂敷は、結ばず平包みで右包みとし、香典や弔用供物は左包みにしています。実に1270年余に及ぶ包み方の伝統が今も継続していることになるのです。

歴史って事実に基づいているから勉強すると面白い!

Toaki

2011/12/15

日本一の悪妻?日野富子

カテゴリー:歴史・文化

今日のお題 「日本一の悪妻」 。
日本一の悪妻と聞いて 「私のこと?」 って思う人はいませんか?← ワタクシは多分、悪妻にはならないと思う・・・。
悪妻、悪妻と言っても実際のところどうなんでしょう。悪い評判だけ表に出てしまって、そいの人のよいところが表に出てこないだけで悪評ばかり目立ってしまう人は損をしてますね。

日野富子・・・

京都の夏の夜を彩る 「五山送り火 (ござんおくりび)」。
そのゆったいははっきりはしませんが、室町幕府8代将軍・足利義政 (あしかが よしまさ)の時代、神道家の吉田兼倶 (よしだ かねとも) が、あの世への変える霊の供養に考え出したとする説があります。
義政の妻、日野富子は、息子の義尚 (よしひさ) を将軍にするため 「応仁の乱」 を招いて京を焼け野原にしたとか、病で倒れた夫をあっさり見捨てたなど、とにかく評判が悪かったようです。
けれど富子は兼倶の吉田神道をあつく信仰し、多くの寄付をしていたようです。それが人の心を慰める送り火のたきぎ代になったとすれば、決して悪いお金の使い方ではないですよね。

別荘を金箔でつつもうとしたのに金をつくれず、名ばかりの 「銀閣寺」 を残した夫の義政より、よほどましと。(← お金を工面できず作った寺とは知らなかった・・・)実は富子は上品な感性と気配りの持ち主だったようです。
ある宮廷女官の日記によると、富子から天皇へのマツタケやアユなど旬の献上品は、早く採れる産地を調べていたらしく、夫の義政や公家連中より必ず数日早く届けられたといいます。(夫をたててないとも言うが・・・苦笑)
幼い皇子への贈り物には可愛さしい手作りの小物が添えられていたとも・・・。

でもね・・・

富子が嫌われていた理由は、将軍の妻でありながら高い利子でお金を貸し、ひたすらお金をため込んだため。
応仁の乱では敵方の大名・畠山義就 (はたけやま よしなり) にさえ1,000貫文 (カンモン)(現在の5,000万円以上!) を貸し付けていた・・ってすごいよね (笑)
そこからとてつもない暴利を得ていたからそれもそれですごい女性だこと。また、税金を自分の懐に入れたり、便宜をはかった時の謝礼はすぐに現金で持ってこさせたり。
それらが全て、口うるさい公家や僧侶に書きとめられてしまったというわけですね。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝 (みなもとの よりとも) をしりにしいていた北条政子が、幕府おかかえの物書きによる 「吾妻鏡(あずまかがみ)」 でほめたたえられているのとは対照的ですね~。

将軍の正妻でありながら夫に従わず、室町幕府の政治・経済の実権を奪う・・・このことから 「日本一の悪妻」 と呼ばれているのでしょう。夫の力のなさが原因だったとも言われておりますが強い女は違いますね・・・ ( ̄ー ̄;) 賢いというか、傲慢というか、人の評価はそれぞれですね (笑)

さて、わたしはどうなんだ???(笑)

Toaki

2011/10/20

行きたい町@大内宿(福島県西会津)

カテゴリー:歴史・文化

今日も涼しい日でしたね。(昼間はちょこっと太陽出てたけど)
本格的に秋の気候になりつつあるのでしょうか?
昨夜は寒く、羽毛布団に毛布を足したらさすがに暑かった!
朝起きてみると毛布は足元に固まっておりました・・・。

いまワタクシが行きたい場所・・・
それは福井県の 「大内宿」
福島県会津の旧宿場で全長450メートルほどの街道に古い茅葺き屋根の屋敷が続いています。

何だか日本人として落ち着ける場所のような気がする・・・。

大内宿の冷歴史は、江戸時代に会津城下と下野 (しも)の国(日光今市) とを結ぶ会津西街道(別名:下野街道) の会津から2番目の宿駅として江戸時代初期の1640年頃に整備された宿場。
それより以前は1590年、伊達正宗の小田原参陣、同年の豊臣秀吉の奥羽仕置きで、この宿場を通行したという記録が残っています。そのあと、新しく会津中街道ができると、主な流通は中街道にシフト。
大内宿は宿駅としての賑わいが次第に失われ、この村の暮らしは 「半農半宿」 となりました。

1967年 (昭和42年)、会津茅職人の調査に訪れた武蔵野美術大学の相沢教授(当時学生)がこの地の旧宿場の町並みに強く惹かれ、保存の必要性を町( 当時は下郷町) に訴えたのでした。
時代はまさに高度成長期、町は賛成派と反対派との意見に二分されたのです。
しかし、相沢教授の熱心な説得と当時の大塚実町長が時間をかけて説得にあたり、1981年4月18日 (← ワタクシの誕生!西暦は違うよ。)に 「国認定・重要伝統建造群保存地域」 として指定を受けることになりました。

現在では年間約100万もの観光客が訪れるようになり、ほとんどの家ではお土産店やそば屋などの店にかわり、農家から観光業へと完全に切り替わっています。
また、この大切な村・宿場の景観を未来の子供たちに引き継いでいくために、住民憲章を作り 「売らない、貸さない、壊さない」 の3原則を守って景観の保存と伝統的な屋根葺きの技術習得・継承に町を挙げて取り組んでいるそうです。

いや~行きたいですね~。今年は無理そうなので来年に春から夏にかけて行ってみたいと思っております。

↑ これ 「ねきそば」 ねぎは箸であり薬味でもあるそうです。ねぎの辛さが喉にきそうな感じ・・・よね (笑)

Toaki

2011/10/03

大奥@明治座

カテゴリー:歴史・文化

日も快晴ですね。
先週末は自然に触れたいDayな気分だったので公園へ足を運びました。緑いっぱいでかなりリフレッシュな気分。
昨日は久しぶりに舞台観賞。
しかし、明治座の椅子は堅いですね~ (笑)休憩二回入る三部構成だったので座る時間が長かった (>_<) でもね、明治座自体は大きな会場ではないので舞台は良~く見えるのです。

実はテレビでも放送していた 「大奥」 の舞台を観に行ってきたのです。舞台は録画されているテレビとは違い、役者の息遣いや迫力などが肌で感じられるよい機会。
セリフ一つとってしても間違いは許されない (でも間違いはあるけれど・・・) 役者が一番緊張し気が引き締まる場でもあるのでしょうね。

まず舞台で目を引いたのが女性陣が身にまとう打掛の美しさ!
主役の松下由樹さん (春日局役 )や木村多江さん (お江与役) は舞台中、数十回の着替えがあり、それぞれ総額億の値段のするものを身に着けているわけです。
歩き方も (身のこなし) 美しくなければなりませんよね。日本の美しい技術の結晶のような打掛等を見ると身に着けてみたくなりますね、着物を。
和服を着ると大きな動きが出来ないので必然と小さな動きになってくる。
大股では歩けないから細かく足を運び、身のこなし全てをコンパクトに収めるのでとても清楚で綺麗な振る舞いになるのでしょうか。
和服を着て帯を締めると背筋は伸びるので姿勢がキレイ (猫背にはならないです。笑)
来年の年初めは和服でと思う今日この頃です(笑)

「大奥」 って知っているようで知らない事のほうが多いみたいですね。そして何より、大奥に関して書かれている書物が極端に少ないようです。

秘密の園 「大奥」 ・・・

大奥の原型を作ったのは元和四年 (1918年) に出された 「大奥法度」 とされますが、条文はわずかに5か条だということを初めて知りました。内容は以下の通り。

一、大奥の修理、清掃には天野孫兵衛・成瀬喜右衛門・松田六郎左衛門を伴うこと。

二、局(つぼね)から奥へは男子禁制。
↑ すでに男子禁制が記されてますね~。

三、奥女中は、御目見以上・以下ともに、門鑑 (通行証) なしで出入りすることを禁止。
↑ この三条では奥女中が勝手に外出したり、人を呼び寄せるころが禁止されていたそうです。

四、暮れ六ツ (日没) 以後の出入り禁止。もし急ぎ走り帰る女がいても返し出すこと。
↑ おお~門限があったのですね・・・。日没って早いわ・・・(苦笑)

五、厨房のことは前出の天野・成瀬・松田三人が昼夜交代で処理し、もし命令に背くものがいたら届け出ること。
↑ 上記、一、とこの五、には大奥の事務処理を行ったり、整備、監視する男の役人につながるような担当の者が決められ、彼らを通じて事案を処理することが定められていた。

実にシンプルな内容です。そのあとに、幾度も改定が行われ、享保六年 (1721年) 4月には、以後、幕末まで続く 「大奥法度」 が制定されたそうです。

それにしても、ある意味、女の園。
現代の様な派閥争いも女同士だからすごかったのでしょうね・・・考えるだけでも怖いです (笑)根っからの女好きだったらいいけど、そうでなく跡継ぎ (男子ね) を作るべく、子作りに励む将軍も気の毒に思えます・・・。

さあ、今の男性陣はどちらがいいんだろうね?側室なみの女性を与えられ 「跡継ぎ子供作れ~い!」 と日々言われるのか?好きな人をただ一筋でいいと思うのか?
根っからの女好きの男性は別よ (笑)

2011/08/10

麹(こうじ)を極める?

カテゴリー:歴史・文化

外に出ると何とも言えない空気感を感じますね。
やる気をなくす空気感ってどうなの?
早く秋にな~れ!

先日、立て続けに料理の本やら加工・保存食の本やらをたくさん読んでおりました。
日本の保存食ってすごいですね。
一番、気合いを入れて読んだのは 「麹」 の本。
実は麹を使った料理ってそれまで好んで食べたことがなかったのです。
粕漬けとかも食べず嫌い的なところもあり苦手だった。
しかし、とあるお店で食べた麹を使った料理を食べて 「麹」 に対する印象がガラっと変わってしまった。

「美味しいじゃないですか・・・ ← 心の声(笑)」

なので麹にも興味を持ち本なんぞを読んでみているのです。
「麹」 って結構すごい “ヤツ” なのですよ。
何がすごいかって?それは・・・

・食べ物を美味しく変化させる!
・たくさん酵素をつくる!
・日本人の健康の元!
・日本のオリジナル!
・神代から使われている!

「麹」 は微生物の力を借りて食材本来のうまみを引き出し、やわらかい質感を生み出す。
「麹」 は100種類もの酵素を含みます。酵素はそれぞれ別の役割を持っていて、特に消化酵素は、食材のでんぷん質やタンパク質を分解し糖やアミノ酸を生成して、食べ物を消化吸収しやすい状態にしてくれるのです。
「麹」 は味噌や甘酒など日本の伝統的な発酵食品の原料。日常的に食べていると、体のエネルギー源となる糖やアミノ酸を効率よく摂取できるので健康維持や体力増進、免疫アップにもつながるのです (今、体力が落ちているワタクシには必要ね・・・)
「麹」 は蒸した米にカビの仲間である麹菌という微生物を繁殖させたものです。カビを使った発酵食品は、中国や韓国、東南アジアなどにもありますが、日本の麹菌と同じ種類のカビを使う国はほかにありません。
「麹」 は日本の国をまだ神様が治めていたという時代から使われていたといいます (歴史上ね・・・)。 はっきりと分かりませんが、神様にお供えするために、何よりも大切なお米からできた麹でお酒を造ったのが始まりとされています。

「麹」 にはこんなにもイイことが沢山あるなんて・・・思ってもおりませんでした。
世の中には知らないことが山ほどありますね。(いい大人になったワタクシも知らないことが沢山あるのです!)
それらをひとつ、ひとつ、知っていくって何だか楽しくてワクワクしまね。

体調悪いが続いている “Toaki”  でした。

2011/08/03

伝える、受け継ぐ

カテゴリー:歴史・文化

衣・食・住
それぞれの古き良き文化


↑ なぜ、わら草履の画像?と思ってもスルーしてください ( ̄ー ̄;)

古臭いとか言われるけれど
現代でも十分通用するものばかり
古き良きものは古いのではなく
受け継がれるべきものが
いつしか
近代文化に飲み込まれて
忘れてしまったか、受け継がれることなく
途切れてしまったものばかり
だから今でも十分に役にたつんだよ。

ちなみにワタクシ・・・草履作ります ( ̄▽+ ̄*)

Toaki

2010/11/08

化粧の文化

カテゴリー:歴史・文化

毎日、お天気が良くて本当に気持ちがよい!
冬になったとはいえ紫外線はまだまだ出ております。
お出掛けの前には冬でも日焼け止め、肌の乾燥を極力防ぐために保湿効果の高いベースクリーム等も忘れずに

皆さん、お出かけ前にお化粧をする方は多いと思われます。(仕事など)
私も仕事では一応、お化粧は致します。しかし、オフの日には素の顔で過ごしております(笑)
本日は 「お化粧の文化」 を少しご紹介させていただきます。

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