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行きたい町@大内宿(福島県西会津)

今日も涼しい日でしたね。(昼間はちょこっと太陽出てたけど)
本格的に秋の気候になりつつあるのでしょうか?
昨夜は寒く、羽毛布団に毛布を足したらさすがに暑かった!
朝起きてみると毛布は足元に固まっておりました・・・。

いまワタクシが行きたい場所・・・
それは福井県の 「大内宿」
福島県会津の旧宿場で全長450メートルほどの街道に古い茅葺き屋根の屋敷が続いています。

何だか日本人として落ち着ける場所のような気がする・・・。

大内宿の冷歴史は、江戸時代に会津城下と下野 (しも)の国(日光今市) とを結ぶ会津西街道(別名:下野街道) の会津から2番目の宿駅として江戸時代初期の1640年頃に整備された宿場。
それより以前は1590年、伊達正宗の小田原参陣、同年の豊臣秀吉の奥羽仕置きで、この宿場を通行したという記録が残っています。そのあと、新しく会津中街道ができると、主な流通は中街道にシフト。
大内宿は宿駅としての賑わいが次第に失われ、この村の暮らしは 「半農半宿」 となりました。

1967年 (昭和42年)、会津茅職人の調査に訪れた武蔵野美術大学の相沢教授(当時学生)がこの地の旧宿場の町並みに強く惹かれ、保存の必要性を町( 当時は下郷町) に訴えたのでした。
時代はまさに高度成長期、町は賛成派と反対派との意見に二分されたのです。
しかし、相沢教授の熱心な説得と当時の大塚実町長が時間をかけて説得にあたり、1981年4月18日 (← ワタクシの誕生!西暦は違うよ。)に 「国認定・重要伝統建造群保存地域」 として指定を受けることになりました。

現在では年間約100万もの観光客が訪れるようになり、ほとんどの家ではお土産店やそば屋などの店にかわり、農家から観光業へと完全に切り替わっています。
また、この大切な村・宿場の景観を未来の子供たちに引き継いでいくために、住民憲章を作り 「売らない、貸さない、壊さない」 の3原則を守って景観の保存と伝統的な屋根葺きの技術習得・継承に町を挙げて取り組んでいるそうです。

いや~行きたいですね~。今年は無理そうなので来年に春から夏にかけて行ってみたいと思っております。

↑ これ 「ねきそば」 ねぎは箸であり薬味でもあるそうです。ねぎの辛さが喉にきそうな感じ・・・よね (笑)

Toaki