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大奥@明治座

日も快晴ですね。
先週末は自然に触れたいDayな気分だったので公園へ足を運びました。緑いっぱいでかなりリフレッシュな気分。
昨日は久しぶりに舞台観賞。
しかし、明治座の椅子は堅いですね~ (笑)休憩二回入る三部構成だったので座る時間が長かった (>_<) でもね、明治座自体は大きな会場ではないので舞台は良~く見えるのです。

実はテレビでも放送していた 「大奥」 の舞台を観に行ってきたのです。舞台は録画されているテレビとは違い、役者の息遣いや迫力などが肌で感じられるよい機会。
セリフ一つとってしても間違いは許されない (でも間違いはあるけれど・・・) 役者が一番緊張し気が引き締まる場でもあるのでしょうね。

まず舞台で目を引いたのが女性陣が身にまとう打掛の美しさ!
主役の松下由樹さん (春日局役 )や木村多江さん (お江与役) は舞台中、数十回の着替えがあり、それぞれ総額億の値段のするものを身に着けているわけです。
歩き方も (身のこなし) 美しくなければなりませんよね。日本の美しい技術の結晶のような打掛等を見ると身に着けてみたくなりますね、着物を。
和服を着ると大きな動きが出来ないので必然と小さな動きになってくる。
大股では歩けないから細かく足を運び、身のこなし全てをコンパクトに収めるのでとても清楚で綺麗な振る舞いになるのでしょうか。
和服を着て帯を締めると背筋は伸びるので姿勢がキレイ (猫背にはならないです。笑)
来年の年初めは和服でと思う今日この頃です(笑)

「大奥」 って知っているようで知らない事のほうが多いみたいですね。そして何より、大奥に関して書かれている書物が極端に少ないようです。

秘密の園 「大奥」 ・・・

大奥の原型を作ったのは元和四年 (1918年) に出された 「大奥法度」 とされますが、条文はわずかに5か条だということを初めて知りました。内容は以下の通り。

一、大奥の修理、清掃には天野孫兵衛・成瀬喜右衛門・松田六郎左衛門を伴うこと。

二、局(つぼね)から奥へは男子禁制。
↑ すでに男子禁制が記されてますね~。

三、奥女中は、御目見以上・以下ともに、門鑑 (通行証) なしで出入りすることを禁止。
↑ この三条では奥女中が勝手に外出したり、人を呼び寄せるころが禁止されていたそうです。

四、暮れ六ツ (日没) 以後の出入り禁止。もし急ぎ走り帰る女がいても返し出すこと。
↑ おお~門限があったのですね・・・。日没って早いわ・・・(苦笑)

五、厨房のことは前出の天野・成瀬・松田三人が昼夜交代で処理し、もし命令に背くものがいたら届け出ること。
↑ 上記、一、とこの五、には大奥の事務処理を行ったり、整備、監視する男の役人につながるような担当の者が決められ、彼らを通じて事案を処理することが定められていた。

実にシンプルな内容です。そのあとに、幾度も改定が行われ、享保六年 (1721年) 4月には、以後、幕末まで続く 「大奥法度」 が制定されたそうです。

それにしても、ある意味、女の園。
現代の様な派閥争いも女同士だからすごかったのでしょうね・・・考えるだけでも怖いです (笑)根っからの女好きだったらいいけど、そうでなく跡継ぎ (男子ね) を作るべく、子作りに励む将軍も気の毒に思えます・・・。

さあ、今の男性陣はどちらがいいんだろうね?側室なみの女性を与えられ 「跡継ぎ子供作れ~い!」 と日々言われるのか?好きな人をただ一筋でいいと思うのか?
根っからの女好きの男性は別よ (笑)